少年が恋する生首 04
結局ケンスケは軍艦を見に行ってしまった。
トウジはどこかの食品会社に行くとかで、それもできたての色々な商品を試食できるという触れ込みにつられてのことだから頑として譲らず、ケンスケにどうしても研究所を見てきてほしいと頼まれた僕は一人でそれを引き受けることになって適当に希望を出したか生粋のパソコンオタクかしかいないと見える集団に交じることになった。
集団といっても人気がなかったのか人数は少なく目立つような生徒や元気のいい女の子もいない地味な集まりで僕には助かることだけれどこんなに少なくては研究所の案内の人は気分を悪くするだろうなと無駄な心配をしてしまう。
研究所の無駄に広いロビーはお客用なのかお洒落な印象で思い出にあるような無骨な機械の中身みたいなことはなかった。
やはり中学生の見学程度では行けないような場所だったのかもしれない。
それはそうだろう、あんなものが保存してある区画に一般人を入れるはずがない。
とりあえず父さんに会って気まずい思いをしなくても済むとほっとしたところできゅっと床を滑る靴の音がする。
正確にはそれはサンダルというか医師や看護師がなんかが掃く室内履きだったのだけれどそんなことを気にする余裕はその後の僕にはなく、ただ迎えに来た職員の笑顔に口を開けて見入るだけで精いっぱいで、いや衝撃に倒れてしまわなかったことが不思議なくらいの真っ白な状態になってしまった。
「やあ、待たせてしまったかな。今日はよろしくお願いします。皆さんを案内する職員の渚カヲルです。年が近いからって理由で任せられたんだけど、わからないことがあっても許してね」
簡単に自己紹介をして微笑むのは首から下のある彼だ。
胴体は白衣を着ていて下は白いシャツに黒いズボンとシンプルないかにも研究者然とした格好だけれどスタイルのいいその身体が、きちんと伸びた背筋が着こなしているとなると随分違ったものに見える。
覚えているままの漂白されたようなその肌、首元にぎざぎざの継ぎ目を見つけることはできないけれど忘れるはずがない。
文字通り夢にまで見て長年恋焦がれた初恋の生首が人の形をして僕の前に立っている。
名前は渚カヲルというらしい、肩をすくめて見せる仕草のその上はあの困ったように眉尻を下げる独特の感情表現で、僕はどうしてかツンとする鼻の奥から涙を零してしまわないよう耐えるのに必死だった。
酸素がうまく吸えなくてじんわりと咽喉が締まっていくようだ。
「じゃあだらだらしているのもつまらないだろうし早速案内を始めようか」
くるりと踵を返した彼の視線が直前に僕を射抜いて笑ったような気がして、癖がついてしまっているのか下着の中を確認したい衝動に駆られて集団から遅れてしまう。
地味な集団といっても彼の並ならぬ容姿と珍しい髪と目の色に興味惹かれたのか見学の列はまとまりがあって迅速で遅れた僕は一番後ろに外れたように付くかたちになった。
ガラスの向こうで行われる作業や実験を説明する彼の声は不思議なことに夢で聴いたものとひどく似通っていて長い廊下に響いて混乱を誘う。
だってあれは夢のはずなのにどうして聞いたこともないはずの声を形作ることができたのだろう、確かに少年のものとは違って少し低くて落ち着いたようではあるけれども、やわらかさのなかにぴんと細い、透明な糸を張ったように響くそれは間違いなく夢の中の生首から発されたものと同質であるとわかる。
今朝見た夢なのだから、そして他ならぬ彼の夢なのだから思い込みや勘違いではない。
それならば今までのことすべてが思い込みと勘違いだろう。
「ここのシステムはすべてMAGIという有機コンピュータの制御で成り立っているんだ。MAGIは三体に分かれていてね、性格があるんだ。バルタザール、メルキオール、カスパー。性格といってもコンピュータの反応にすぎないと思うかもしれないけれどそのそれぞれの判断に僕らが助けられることもあるんだよ。人は人である限り公平な判断を下すことはできない、けれどその公平ではない判断が何かを変えることもあると三体の少し極端とも言える性格が教えてくれるというのもなかなか興味深いことだね」
巨大な、あれが有機コンピュータというのだろう何を計算するためなのか無駄に大きなバッテリーのような形をした箱型のものがフロアのほとんどを占領するように設置されていた。
作業をしている職員もいるにはいるようだけれど閑散としていて警備員の姿すらほとんど見えない。
「MAGIは簡単に盗めるほど小さくもないし物理的に攻撃されてもある程度耐えられるように設定されている。コンパクトではないのは原型がかなり前に作られたということもあるけれどここみたいに人手がたりないところにはありがたいことかもしれないね」
一つ一つの質問に丁寧に答える彼はとても入ったばかりの若い研究員には見えない、むしろここの研究が、施設が何たるかを知った上で簡単な言葉を選んで説明しているように思える。
それはそうだ、僕の記憶の通り彼がここにいるのならもう十年以上になるのだろうから。
しかしせっかくの説明も考え事に没頭しながらもずっと彼の横顔に見惚れ続けてメモも取らずにいる僕にはわかりやすいと感じていることもケンスケに同じように解説してみせるなんてとてもできないだろう。
それでもいいと思える。
ずっと彼が紡ぎだす音の羅列に聴き入っていたかった。
「そんな大きなものを作ってここでは何を?」
もっともな質問でありここに見学に来た生徒のほとんどが気になって仕方がないことを誰かが質問する。
今の僕には彼以外の声を聞き分けるなんて不可能だろう、ただの記号のように文字情報だけが脳にぽこんと浮かぶ。
「人造人間を作っているんだよ。という答えがここでは正しいのかな」
噂を知っているらしい彼は悪戯を仕掛けた子どものように少し歪めてみせた笑みを深くして、そうだったらどんなにか楽しいだろうけれど人の脳の研究だとか、それこそMAGIのような有機コンピュータの新しい可能性を研究していて研究自体が研究目的のようなところもあるんだよとそんな意味のことを言った。
からかいだとわかっていても緊張して息をつめていた、ほぼ全員がほっと肩の力を抜く。
「期待を裏切ってしまって悪いね。ああ、ここからは僕の専門外、というか管轄外なんだ。制御系統のもう少し偉い人を呼んでくるから少し待っていて」
声と横顔に魅了されている間に彼は扉の向こうに消えてしまって次に出てきたのは黒く長いストレートの髪の、赤いジャケットにタイトスカートにヒールを履いた、研究所というイメージには似つかわしくないどちらかと言えばモデルのように背の高い美人のお姉さんで、彼とは違う元気で、大人っぽいというよりかわいらしい高らかな声をして葛城ミサトよ、よろしくねと自己紹介をした。
「わかりやすく言えば管理職の人間よ。さっきの彼みたいに研究にしか興味がない学者の集団みたいなものを束ねるのがオシゴト。詳しいことは機密事項だけど私個人のことは今日だけお姉さんみたいなものだと思って何でも訊いてね!」
綺麗にウインクをしてみせた彼女の和やかさは彼の近づき難い人形みたいな美しさとは別の意味で人を惹きつける力があるみたいだった。
本当にこんな人が姉なら一人の家に帰るよりきっとよっぽど楽しいだろう、けれどきっとケンスケたちへの言い訳に使ってしまう僕は勝手に申し訳ない気持ちになる、初恋の人は相変わらず綺麗だったという嘘の上の嘘ができあがる。
年齢を計算すれば葛城さんのほうがきっとずっと若いだろうに。
いや、正確に言えば生首のときの彼は今の僕と同じくらいの年齢に見えたから正しいと言えば正しいのかもしれない。
「そんなに見惚れて。僕より年上のお姉さんの方がよかった?」
耳元で囁かれたと思ったら目の前に確かにいたはずの集団は僕の前から消えていた。
多分正確には僕の方が移動したのだ。
目では感じられなかったというのに頭の中がぐるんと掻き混ぜられたような気がする。
「ごめんね。記録には響かないようにするから許してくれるかい」
ゆるく肩から鎖骨の前辺りに手を回される。
僕は背が低い方だから身体のある彼の方がやはり身長が高くなるんだと当たり前のことを実感して、それから後ろから抱きしめられている状況と耳の中に残る声にばくんと、爆発するんじゃないかという勢いで心臓が打つ。
唇は何の形なのか自分でもわからない場所で止まってしまって少し開いたまま動かない。
夢の中でうまく喋ることができたのだけは夢で間違いないらしい。
「やっと会えたね。なかなか来てくれないものだから待ちくたびれて呼んでしまったよ。碇シンジくん」
耳まで真っ赤だねなんて言う声はその熱を持ったらしい耳の裏で弾んでいるみたいだった。
こっちは荒くなる呼吸を納めるのに必死だっていうのにどうしてそんなに楽しそうで嬉しそうなんだよと少し恨めしい。
「んで」
「ん?」
「からだ、どうしたの」
長年想いを募らせた相手に最初に掛ける言葉としてはあまりに非現実的で無神経だったかもしれないけれど咄嗟に口をついたのは単純な疑問で、くすくすという笑い声と驚かせてごめんとあまり謝る気のなさそうな謝罪でもって待たされた。
それにしては答えは一言で簡潔で僕は更にどうしたらいいのかわからなくなってしまう。
「つくったんだ」
「人間の身体を?」
「人造人間の研究をしているって言ったろう?」
よく見ると連れてこられた場所、というか部屋は直方体の箱のような形をしていて見える位置に出入り口はない。
どうなっているんだろう、もしかしたら彼が背にしているのかとも思ったけれど肩を押されて振り向かされてもそんなものはなくて、この研究所はやはりずっと前からただの学者のための施設ではないのだろう。
今は透明な板越しではない彼の真紅の瞳に見入るのに忙しくてそんなことは頭の端にしかないけれど。
「君に会うためにね。残念だったかな」
首だけの方がよかったかも知れないけれど怒らないでくれるかい、そんな風に言われたら首を振るしかない。
全く夢の中にまで侵入してくるなんて僕の頭はあの記憶が途切れた瞬間に脳をいじられでもしたのだろうか。
それでもこの瞳を、白に近く光を反射する髪や睫、それから大きな口元がつくる笑みを忘れてしまうくらいならその方が良いような気がした。
「きれいになってる」
傷があった場所をなぞるとくすぐったそうに君にそうされるとまた離れてしまいそうだとどうしてか甘さを含んだ声で囁かれる。
大きな脈が通っているはずなのにそこはひんやりと冷たく滑らかで肌に触れる凹凸もやはりなかった。
左の筋の辺りから反対側まで辿ったところでその掌を捕まえられてしまう。
手を握ることのできる距離に、僕らは同じ空間に存在している。
密室だからか僕の方が彼の空間に閉じ込められてしまったような気さえしてしまった。
「しらなかったよ」
「え」
「君に触れられるとぞくぞくするんだね」
こういう感覚なんだ、いや久し振りというべきかなと吟味するような口調で言う彼の視線は僕の目の位置で固定されて動けない。
金縛りにあったようなとは体験したことはないけれどきっとこんな感じ。
「僕から触れても?」
問いかける彼の掌はすでにひたと僕の頬に付いていたけれど不快ではなく僕にとっても久し振りに感じられて、熱が際限なく昇る頬と頭とをどうにかするのをあっさり諦められるくらいには心地よく、も緊張するものであったから拒否できるはずもなかった。
「時間がかかってしまったけれど会いたかったよ。碇シンジくん。僕はカヲル、渚カヲル」
「あの、な、なぎささん?」
「カヲルと呼んで」
促す言葉は優しかったけれど気が弱くこういうことに引っ込み思案な僕の口を、舌を動かす力が確かにある。
「あの、カヲル、くん?」
どう考えても年上であるはずなのに名字のように他人行儀にさん付けする気にはどうしてもなれなくて口をついた音は驚くほど貴いような、それでいてあつくどろりとしているような自分でも不思議な響きで、呼んだ瞬間再会したときから堪えていた涙をついに落としてしまう。
本当に彼のために作られたのだろう、顔や首と同じ色素をした骨ばった指に拭われて今度は視界がにじんでほとんど効かなくなってしまった。
もっと彼の顔を見ていたいのに。
「カヲルくん!」
あいたかった。
ずっとあいたかったと繰り返して思い出したように詰まった鼻をすする。
随分格好悪いし何が言いたいのか全然わからない。
けれどたとえ息ができなくなってしまったとしてもこの言葉を伝えなくてはとどうしてかそればかり思っていた。
生首として会う前からずっと決められたように会いたかったようにも、長く積み重ねた恋心をひとつひとつ途方もない量渡していく作業のようにも思えたけれど、軽く肩辺りに乗せられていた腕が突然僕を引き寄せて強く拘束するものだから止めざるをえなくなってしまった。
「シンジくん僕もね」
ずっと会いたかったよ。
キスをする前彼がどんな顔をしていたかわからないけれど、僕はやっぱり確かめるように首に指を這わせながら目を閉じて降ってくる唇を受け止めていた。
生首カヲル×シンジ一度は書きたかった。タイトルはどちらのことともとれるように。ループなのかそうじゃないのか。
20090829