プリズム
骸(12)×綱吉(20)ですよ。しょたですよ。
あまりにもきれいだから。そんな理由で誰かをまじまじと見たのははじめてだった。
きれいなもの。
例えば写真とか風景画とか雲一つない青空とか近く大きく浮かぶ満月とか。
そういうものを美しいと思わないわけじゃない。
カメラを持っていれば撮りたいと思うだろうし足を止めたこともあったかもしれない。
ただそれは今まで見てきたきれいだと思われるものたちとは全く別物のようだった。
大別すれば確かに同じような言葉で表現するしかなく、他にどう言ったらいいのか語彙の少ない俺には分かるはずもなかったのだけれど。
「なんですか。人をじろじろと見て。お兄さん変態ですか」
喋った。
いや、人間だというのは分かっていたのだから喋ったとしても不自然ではない。
しかし強い日差しに焼かれて一層白く映える透明な肌だとか、左右色の違う目の填まる若干彫りの深い顔立ちだとか、青く光る艶やかな髪だとか、そこから流れ落ちる雫を受けとめる鎖骨だとか何もかもが人形めいていたせいでそれが、いや彼が言葉を発するという所まで考えが及ばなかった。
「変態じゃないって。ここ、小学生が使う場所じゃないでしょ。それにまだ開けてないのに。きみどこから入ったの」
考えていることとはほとんど関係なしに運動する舌と唇がありがたい。
正しい関係性を把握すれば、一人は開園前の市民プールしかも競技用の深い場所に入り込んだ(おそらくは)小学生、一人は夏休みの間だけアルバイトで雇われている清掃員二十歳。
小学生らしいと分かったのはプール近くの木陰にランドセルと帽子、それから靴があるのを発見したからで、着衣のまま易々と泳いでみせる大人びた顔つきの少年は少なくともそのようには見えなかった。
「金網が破れていました」
少年がつい、と視線を向けた先のフェンスには小学生の体格ならば簡単に通ることができるほどの穴が楕円形に開いていた。
早めに塞がなければ悪ガキらの裏口として使われてしまうかもしれない。
「それに」彼は言い募る。
「僕は泳ぐことができるので問題ないでしょう?」
片眉だけを上げるその表情も高圧的に聞こえる敬語もやはり子どもらしからぬもので、知らず言葉に詰まってしまう。
辛うじて『きけん ちいさいおともだちは あそばないでね!』という立て看板を指した。
「駄目だよ。ここに書いてあるだろ」
彼は俺の反対側からそれを読んで機嫌悪そうに眉根を寄せた。
「僕は今年の身体測定で152センチでした。もう小さくありません」
むきになって口をへの字にする様子は今までの人形のような印象に比べれば随分かわいらしく、軽く噴き出してしまった。
そのせいでまた機嫌を損ねてしまったらしい、鋭い視線が飛んでくる。
「まあ高校生でもそのくらいの人はいるかもね。女の子なら」
「僕は男の子です」
「うん。じゃあやっぱり駄目かもね」
彼は掴まっていたへりから離れて俺の方、つまり上がるための梯子がある所に泳ぎだした。
機嫌を損ねた小学生がどんなに扱いづらいか知ってるので、これには驚きだった。
無断侵入して隠れもせず泳いでいたくせに、実はものすごく聞き分けが良い子とか。
ランドセルや靴は丁寧に置いてあるし、傷ついても汚れてもいない。
それだけでは物持ちの良い優等生なのか、全くランドセルを使わない小学生でありながら不良なのかは区別がつかなかった。
「お兄さん、手を貸してください」
彼は何度か上がろうとして失敗してから口にして、気だるげに手を差し出した。
青白く細っこい腕、骨の形がわかる肘からひっきりなしに落ちていく水の粒はタイルの水溜まりと合体したり弾けたり。
小さな手はすべらかでそれだけひどくやわらかそうに見えた。
「なんだ。自分で入ったのに上がれないの」
「服が重いんです。小さいオトモダチなので非力なんですよ」
皮肉めいた表現はやはり子どもらしくない。
「そんなこと言って、ひっぱりこむなよ」
俺はカナヅチだった。
水に浮かぶくらいならできないこともなかったけれど、いきなり落とされれば溺れかねない。
監視員ではなく清掃員をやっているのはそういう理由だったりする。
「お兄さんが力負けしなければ良いことです」
彼はにやりと笑う。
整いすぎた顔のバランスを崩しかねないその笑みはかえって蠱惑的で妙な魅力が際立っている。
そのまま成長すればかなり悪い男になりそうだ、とか変な人に追い掛けられてもおかしくない気がするとか先程から俺の脳内は暑さのせいで沸騰してしまったらしい。
「俺あんまり力ないからな。期待しないでよ」
「見たら分かります」
「はは、だよね」
思考を無視して近づき腰に引っ掛けていたタオルで差し出された手首から指先だけを拭いてやると、後ろに体重をかけるように注意しながら手を握る。
身体は細いのに、触れたものは想像した通りにやわらかだった。
水が温いのか冷たくはない。
俺は引っ張り上げる、彼は勢いを付けて飛び上がる。
勢いをつけすぎたせいかプールからの脱出には成功したが、俺の足やら服やらにも水滴がたっぷりかかり、一回り小さな身体も一緒に受けとめてしりもちをつくことになってしまった。
子どもってみんなこんな感じだよな。
折れそうなのに意外と重くて、骨っぽいように見えてもふわふわしている。
「いつまで触っている気ですか。やっぱり変態だ」
自分だってしがみついていたのに彼は俺の方に文句を言った。
受けとめただけだと言い切れるほど短い間ではなかったかもしれないけれど。
なめらかに頬を伝って丸みを帯びた顎から滴る透明な光を舌で拭ってしまいたい、なんて俺は本当に変態かも。
子ども相手にそんな衝動を覚えたことはないのに。
正確に言えば同年代の女の子に対しても接触すれば赤くなるばかりで初心だシャイだとからかわれるくらいだからそれは俺のなかでは新しい感情で驚きすら覚えてしまう。
なにこれ。
「着替え持ってきてる?」
しまった手は離したのに否定するのを忘れた。
立ち上がる彼に座り込んだままの俺は見下ろされて、脛やくるぶしにはぱたぱた弱い衝撃が降る。
「入るつもりじゃなかったんですから持ってきているわけないでしょう」
偉そうに言うことではないだろうけれど、名前も知らないのに彼らしいとか思ってしまった。
「じゃあ一緒に乾かそうか。まだちょっと時間あるし、今は上の人居ないから大丈夫だよ」
笑いながら言うと驚いたような表情からまた悪戯を思いついたような顔。
本当に似合いますね。
「お兄さんにしてはいい提案です」
「いえいえ。お褒めに預かり光栄です」
おどけた言葉は自分で想像したよりずっと楽しげだった。
ちょっとそこまでご一緒しませんか、なんてね。
「それにしても何で入ろうとか思ったの?そんなにやんちゃには見えないけど」
代わりに持ってあげたランドセルはずっしりと重い。
きっと彼は物持ちの良い優等生の方で、教科書もノートも毎日持っていって持って帰っているのだろう。
濡れてさえいなければ身なりもきれいで、敬語もしっかりしているから教師受けも良いはず。
勝手な推測をして悪いけれどそういうことがからきし駄目だった俺だから、真逆の人間は何より良く分かった。
「暇だったので。帰るには早いし持ってきた本も読み終わってしまって、散歩していたらあの穴を見つけて。暑いときのプールってやけに冷たそうに見えて詐欺みたいですよね。結構ぬるかったし服はびちょびちょで気持ちが悪いし変態のお兄さんには見つかってしまうし最悪です」
七月だからまだ夏休みではないけれど、早く終わる日もあるのかもしれない。
そういう時になんとなくぶらぶらしてしまう気持ちも、暑いなか大量の水に焦がれてしまう気持ちも分からなくはない。
「要するに魔が差しただけで反省してるから見逃してくれって?」
「変態なだけでなく幼気な小学生を苛めるとは最低です。でもそうですね、僕が悪かったと思っています」
ともすれば生意気で俺は怒っても良いかもしれないのに彼との会話は心地良い。
バイトの休憩室に通して座るよう促し、とりあえず扇風機を回す。
「まあ謝ったことにしといてあげるけどね。お兄さんは変態じゃなくて沢田綱吉さんね」
「社会の時間に習ったバカ殿と同じですね綱吉お兄さん。僕は六道骸です」
小学生の歴史の授業ではそんなに詳しいところまで習っただろうか。
かなり前のことだからもう覚えていない。
「代々そうやって付ける家なの。親父は家光だしね。君も随分ごつい名前だね。六道くん?骸くん?はいこれ」
アルバイトのために用意されたは良いが資金不足のせいで雇えずにそのままにされていた新品のTシャツがようやく日の目を見ることになった。
成人男性用だから彼の身長なら膝上くらいまでは隠してしまえるだろう。
「服脱いでこれ着ときな。乾燥機あるから30分くらいで帰れるよ」
彼は蛍光オレンジにでかでかと『並盛市民プール』とプリントされたシャツに顔を顰めたが、すぐに濡れて重くなったシャツとズボンを脱ぎ始めた。
白く薄い身体に先程の光景が重なり、慌てて服を替えにロッカーに向かう。
「六道くん?アイロンはないからシワになっちゃうかもしれないけど大丈夫?」
「骸で良いです。乾かせるだけで十分ですよ。乾燥機、こんなところにもちゃんとあるんですね」
「うん、骸?一般の人には貸さないんだけどね」
「はいはい。僕が悪かったですよ。ありがとうございます」
着替え終わって振り向くと彼もちょうどシャツを着終わった所で、びしょ濡れになった白いシャツと紺色の半ズボンを窓の外に向かって絞っているところだった。
蛍光オレンジの裾は太腿の際どい場所を這っている。
「パンツは?」
「それは、結構です」
真顔で断られてしまった。
「え。本気で変態とは思ってないよね?」
「思ってないですよ。乾燥機を使わなくとも大丈夫という意味です。綱吉お兄さん?」
二人揃って笑い出す。
初めて見る彼の無邪気な笑顔は、窓から入る夏の日差しを受けたからか、元々そうであるのかひどくきらきらしく俺の目に焼き付けられた。
金網の穴は早々に塞がってしまったけれども、青い髪のきれいな小学生は時折市営プールを訪ねてくるようになった。
夏休みが始まって長時間人がいないということはなくなったから、決まってお昼の休憩時間とか夕方閑散とし出した頃で清掃員としては忙しいのだが、普段は本を読みながら静かに待っているし、休日ならいつの間にか仕事を減らしていてくれたりするので邪魔に思うこともなく、年を取ったやさしい管理人には可愛がられてもいるようだった。
仕事が終わるとかき氷を買って一緒に帰り、駄菓子屋のある角でわかれる。
夏の間だけのアルバイトが終わると携帯のメールアドレスを交換した。
まったくいまどきの小学生ってやつは。
しょたむくろ×せいじんつなよしもうそうがとどまるところをしらなかったようです。
時期外れ甚だしい。
20081215