視線はガラス越し










「風景よりも人物が向いていると思うんですがね」

もう少し筋力をつけないといけませんね、先生は呆れているのか面白がっているのか力を抜いたようにして笑った。
一眼レフのカメラは重く、焦点をぴったり合わせるにはそれなりの技術が要るのだが筋力も体力もない俺は撮っているうちに少しずつ写真にブレが出てきてしまうらしい。
素人への注意みたいなことをと思わないでもないけれど基礎体力がないのはどう考えても俺の責任だった。
以前は小さめの一眼レフを使っていてそのときはなかった悩み、大きなレンズで撮る写真とどちらが良いのかと問われればそれは苦労した甲斐があると思える物に仕上がるのだけれど。

「ああ。今日は約束がありましたね。もう行かないと」

渋い顔で先生が溜め息を吐く。
これからの予定が憂鬱だということが誰にでも分かるような表情だ、先生は意図的に造形されたのではないかというくらい綺麗な顔をしているし、芝居がかったというのだろうか、表情まで作り込まれていると思わせる人だった。

「雑誌社の取材でしたっけ」

「ええ」

取材などせず写真だけを載せてくれればいいものを。
ねえ、と振られた俺は曖昧に頷いた。
美貌の天才写真家、しかも独身とくれば雑誌などメディアの類が放っておくはずもない。
女性誌の取材ではそれこそ先生が撮られるばかりで、写真集が申し訳程度に紹介されただけということもあったらしい。
さすがに気を悪くした先生は腹いせに雑誌の専属カメラマンに散々なだめ出しをしたと言っていた。
案外子どもっぽい。
今日はそれこそ女性誌ではないけれど、写真の専門誌というわけでもなかった。
どちらかと言えば若者向けの、芸術全般を取り扱う雑誌と言ったらいいのか写真誌よりは文芸誌に近かったから取材があるのも当然といえた。

「じゃあ俺は帰りますね」

「待ちなさい。暇なら一緒においで」

「へ」

俺は先生のアシスタント兼弟子というやつで、たとえば一人では重すぎるレンズやら三脚を持ったり反射板を持ついわゆる雑用だ。
雑誌社の取材ならそういう人は居るだろうし、先生の荷物も車に積んでいるか行く前にアトリエに置いてくればいいことだ。
有名な写真家に万が一なれたとしても先生のようにはなれない容姿だと残念ながら自覚している俺が行く意味ははっきり言ってほとんどない。

「でも」

「良い機会だ。人物を撮る練習をするんですよ」

そう言っていたずらっぽくウィンクをした先生は全国の女性を魅了するどころか、男の俺を見惚れさせる力まで持っていた。















「あのお、本当にいいんですか」

両手はカメラを持っているから自然に顔を寄せるようにして先生に囁く。
こっちを睨んでいる複数の瞳が怖い怖すぎる。

「何がです」

先生はというと全く悪びれない様子で撮影用のソファにクッションを抱きしめてふんぞり返っていた。

「だって写真撮る担当の方、用意されてたんじゃあ」

「大丈夫でしょう。こうやって希望も通っているんですから。それに僕は写真家ですよ。自分の写真をどう撮るかだって決める権利がある」

「じゃあ三脚立てて先生が撮れば」

「それでは君の練習になりません」

一度プレッシャーのある中で撮影するというのを経験しなければならないと思っていたんですともっともらしいことを言っているが、俺はこの人が結構面白がっていることを知っている。
カメラを持つ手が汗をかいて履きつぶしてくたくたのジーンズで拭う。
取材用の写真とはいえ、商品として発行される写真に、プロのアシスタントつまり素人と変わりない人間の写真なんて本来は要望が通るはずもない。
この撮影現場で先生の他におもしろそうに事態を眺めている人物が現場監督で、二人はそこそこ付き合いのある友人らしい。
不運にも無理難題が通ったのはそのせいで、おそらく先生はこのことを見越して俺を連れてきたのだ。

「やらないんですか、沢田君?」

にやにやと意地悪く笑う顔を殴ってやりたかったが、一応先生なわけで俺はこの人の作品に対する姿勢とかそういうことを尊敬していたりするので行動には移せない。

「やります。先生こそ俺の指示に従ってくださいね」

そう言うと先生は少し驚いたように目を円くして、それからさっきよりわくわくしているような顔で笑った。

「よろしくお願いしますね、沢田カメラマン」

その呼称に少なからず嬉しくなってしまったのは秘密だ。
そして先生の子どもみたいににやついた表情が最初の一枚になった。

「ちょっと。もう始めるなんて聞いていませんよ」

「すみません。かわいかったのでつい」

「かわいい?君ねえ僕はクールな美形で売ってるんですよ。やりなおしなさい」

「先生って前から思ってましたけどナルシストですか」

「な、僕は撮るからにはちゃんとした作品にしたいだけです。妙な誤解はやめてください」

「はいはい。怒った顔もかわいいですねー」

「生意気でかわいくない生徒を持ちました」

話しながらの撮影はまるで友達か、下手をすれば恋人同士のような高揚した気分になってしまう。
先生は普段や、それこそ写真を撮っているときには真剣でいわゆる近寄りがたい美形とうやつなのだけれど、たまに子どもかと思うような突拍子もないことを言ってみたり甘いものが大好きだったりするのだ。
そういう部分を知っていたらクールな表情よりもずっと、笑った顔や不機嫌な顔を撮りたくなってしまう。
一眼レフのデジタルカメラは撮った写真の光の具合やブレを確認する以外は枚数を気にしなくて良いから、どれくらいの時間なのか何枚撮ったのかわからなくなった。
そういえば妙に顔が近いなと思ったら俺もソファに乗り上げて先生の足をまたいでいるという体勢で、我に返ると恥ずかしい。

「これなんかいいと思いますけれど。思った通りです。やはり君は人物を撮るのに向いている。警戒心をなくさせるという意味では動物や虫なんかも」

「それって褒めてるんですか」

「そうですよ。僕は滅多に褒めたりしないんですからありがたく受け取りなさい」

偉そうに言う先生の顔はやっぱりものすごく近い。
カメラの液晶画面をのぞき込むようにしているのだから仕方がないのかもしれないが、体勢の問題もあるだろう。
そろそろと降りるタイミングを見計らっていると、スタジオ内が妙に静かなことに気が付いた。
撮り始める時には確かにスタッフさんや監督さんたちが居たはずなのに、見事に誰もいない。

「あれ、何で誰もいないんですか」

「邪魔なのでちょっと出ていってもらいました」

「グラビアアイドルの写真集撮影か!」

「気が付かなかったんですか。集中できてよかったでしょう?」

良い写真が撮れているのが証拠ですと先生が指さす写真の中には確かに手応えを感じるものがあった。
人物を撮るといってもこんなふうにきちんとしたスタジオで、一人の人間に焦点を当ててシャッターを切ることなんてなかったからこの人の言うとおり良い経験になったのだろう。

「続けます?もう結構な枚数を撮ったと思いますけどね。それとも」

先生が不意にジーンズの下腹部分を撫でる。
ひひゃいとか滅多に出ないような奇声を上げた俺はそこで初めて自身が、完全にではないものの反応していることを知った。

「こっちが先ですか?」

「な、何するんだ変態!」

「変態はどっちですか。撮りながら興奮するなんて」

「ここここれは」

「まあわからなくはないですけどね」

ぼくも、という呟きと一緒に首に手をかけられてまたいでいた脚の上に座らされる。
上に着ている服がゆったりしていて長かったものだから分からなかったけれど、下肢が触れる部分は自分と同じようになっていて服越しでも熱いようなそんな錯覚にとらわれた。

「恋人みたいでしたよ。綱吉」

僕以外にそういう撮り方したら駄目なんですからねと熱っぽく囁かれ、名前を呼べと強要される。
いや、これはねだられているのか。
そういう撮り方ってどういう撮り方だよとか思いながらも口は勝手に動いた。

「骸さん、以外にできないよ」

いやいやいや何言ってるんだよ俺冷静になれこの人は写真の先生であってそれ以上のことは何にもないはずでさっきだって良い画を撮ろうと夢中になっていただけであって決して欲情したわけでは。
混乱のせいか羞恥のせいかきっと真っ赤であろう俺の頬にキスがひとつ。
びっくりしている間に同じ場所をべろりと舐められた。

「ああ、あんた何して」

頬を押さえて後ずさると首に回っていた腕はあっさり離れた。

「熱烈な告白だったもので思わず。ちなみに唇はお楽しみのためにとっておくだけですから」

ぼーっとしてると奪われますよと言った表情はこれまでのどれより艶っぽく、おもに俺の目とか脳とか心臓に悪いものだったけれどシャッターを切ることはできなかった。
奇跡的に撮ることができていても、動揺のせいでひどくブレてしまっただろう。
それにあんな顔をしたこの人の写真は誰にも見せたくない、だから撮らなくてよかったと思ったことは一生誰にも言わないでおこう。















「結局使われてるのがこの一枚っていうのが気に入らないんですけど」

「おやおや。初めての雑誌掲載じゃないですか。もっと喜びなさい。ちゃんと『撮影 沢田綱吉』って書いてあるじゃないですか」

「う。それはそうですけど」

今日の分の撮影を終えて一息入れていた喫茶店、発売された雑誌を嬉し恥ずかしの気分で開いたら使われていた写真は先生のリクエスト通り真剣な表情を撮った、しかも一枚だけであとはインタビューに答えているときのものだった。
写真メインでないとはいえ、気に入ったものが全部没にされたというのは結構心が傷つく。

「あれね。僕が言ったんです。使わないでくださいって」

「は」

プロの世界というのはこんなにも厳しいのかやっぱり俺はまだまだなんだと打ちひしがれているところに、あっけらかんとした声がかかった。

「今なんて」

「僕が言ったんですよ。言ったでしょう、クールな写真家で売っているって。あの現場監督がたいそう気に入っていたので阻止するのに苦労しましたが」

溜め息を吐いても絵になる美形を今度こそ本当に殴ってやりたくなった。

「自分のイメージのために」

ひどい。
弟子の写真が掲載されるのを妨害する師匠がどこの世界にいるんだ。
売れてないならそもそもこの人は今や超売れっ子、俺の写真がちょっと載ったくらいじゃあひっくり返せない人気の持ち主であるというのに。

「お、おーぼーだ!職権濫用だ!」

涙目で叫ぶ俺の頭を軽く撫でてから形ばかりの謝罪を口にする。

「悪かったですよ。あ、でもイメージのためだけじゃあないんですけどね」

仕事用の鞄からL版写真用の分厚いファイルを取り出して今度はそれを頭に乗せられる。

「君が撮った僕の写真。現像してもらったんですけどね」

「はあ」

それを聞いて不思議に思う。
デジカメが主流の時代にわざわざ現像するというのは経費がかかる、しかも使わない写真なら尚更だ。
データを見て取捨選択し、必要なら現像するなり加工するなりして、不必要なものは破棄するのが当然だろう。

「あ、これはデータですね。あげます。これ見て本当に全国誌に載せて良いのかどうか考えてください。それから明日は朝から遠出しますからしっかり防寒して駅に集合です。詳しくはメールしますから。じゃあ僕は帰ります。お疲れ様でした」

SDカードも手の中に落とされて、先生はそそくさと行ってしまう。
何だよ遠出って聞いてないよまああの人廃墟とか工場とか好きだからまたそんなんだろうけどてか話終わってないのに帰るか普通とか思っていたら、俺のぼさぼさ頭で辛うじてバランスを保っていたファイルがばさりとテーブルの上に落ちる。
コーヒーをしっかり飲み終わっていて良かった、入っていたらきっと大惨事だったろう。
片づけてさっさと帰ろうと思った俺の目に、落ちた拍子に開いたファイルの中の一枚が飛び込んできた。

「あ」

思わず声を出して固まる。
それはあの撮影中のどの時間に撮ったのかわからないけれど、眉間に少し皺を寄せ、照れたように笑う先生のアップ写真だった。
唐突に気が付いて顔に体中の熱という熱を集中させた俺はきっと挙動不審に写ったかもしれない。
けれど周りの視線よりはこの写真を見ている方がよっぽど恥ずかしい。
俺が思い至った、この表情を言い表す言葉も同じように恥ずかしい。




まるで好きな人に撮られて照れているみたいじゃないか、なんて。



あのファイルは帰ってから机の引き出しにしっかりしまった。
全国誌どころか知り合いにも見せられるか。
そうして次の日の遠出が泊まりだというメールに困惑して、落ち着かなくて、結局しっかり寝坊してしまった。











周りに写真をやっている人が多くて、長くシャッターを開けたままで風景を撮ると人間とか動いてる人が画面から消えちゃうっていう 話を聞いて面白いなー骸は風景で綱吉は人物が好きそうだなーとか思って書き始めたはずなのにいつの間にか骸のグラビア撮影になってた。あれー?



20090211