ほしいものちがい
11月11日は例のあの細長いお菓子の日。
「け、健二さん。こっち、あ」
お菓子ちょうだいと言われただけだった。
だから言われるまま手元にあった菓子を差しだした、それだけだ。
それなのに取られたのはどうしてかキーボードの上に置いたままになっていた方の手で、じわりと汗をかく菓子を持って上げたままの右手に袋ごと差しだせばよかったなんて見当違いのことを思った。
ふる、とチョコレートのかかった菓子の先が揺れる、佳主馬が動いたせいで。
佳主馬が動いたのは健二がひっぱるように取り上げた左手をぞろりと舐めたせいだ。
どうしてこんなことにと思いながら混乱してひくついた佳主馬の息を笑うように舌先は中指、薬指、と順番に動いていく。
納戸の行き止まり、パソコンに向かう佳主馬が後ろにいる健二に菓子を差しだすには振り向かなくてはならない。
ノートパソコンの傍らに置いた袋から取り出した細いプレッツェルにチョコレートのかかった菓子をそのまま健二が取れるよう半端に振り向いて差しだしたはずだ。
しかし引き寄せられたのは左手だったから佳主馬はパソコンに向き直るように回転させられて、やる気のないばんざいをしているかのような形で後ろから指を舐められて、否、今は吸われている。
ちゅ、と唾液が立てる音にまたびくりとなる。
パソコンのファンが冷却のために勢いよく回り始めるけれど混乱して上がり続ける体温を下げてはくれなかった。
そこではっと冷静になった脳の一部がやっとおかしいと声を上げる。
とりあえず右手を下ろそうとそうしたところで今度はその右手までとらえられる。
「え」
「くれるんだよね、それ」
左手を取る健二の手が手首からそっと佳主馬の掌に上る。
濡れた指先と滴ってしまった唾液のせいで肌まで水音を立てた。
液体の温度は体温で上昇して不快なのだけれど、ぐちゅりと擦り合わせられる音に鳥肌が一気に腕を駆け巡っていく。
手首を掴まれた右手はどうやら頭の上にあって、引っ張られたことと上げ続けているせいで二の腕に僅かな痛みが走った。
がり、がり、と菓子を噛む音、くずが頭に落ちるじゃないかと思う。
単純な力では、取り押さえられれば運動不足だと自称する健二にすら勝つことができない佳主馬は、両腕を押さえられたこの状況からどう脱出するか健二が菓子を咀嚼する間に考える。
両脇が空く無防備な体勢が落ちつかない。
それに主導権を握られるのはたとえそれが健二であっても癪だと感じるのだ。
いや、健二だからこそだろうか。
好きになったのも告白したのも佳主馬の方が先で、恋人になってと半ば無理やり迫ったはずだ。
了承はされたけれど片想いのままのように健二をもどかしく思うことも、近づけない距離に焦ることもあったはずなのに最近はときどき、ときどきだろうか、頻繁にかもしれない咄嗟に頭がおいつかないようなことを涼しい顔でされたりする。
健二さんってこんな人だっけと考える隙も与えられないような行為に、咄嗟に怖いと思ってしまうようなそれにどうやって対応すればいいのかわからない。
「あっ、ん。やだ」
がりがりと順調に菓子を削っていた歯が指の側までたどり着く、唇がはくりと最後のチョコレートのかかっていない部分を挟んだ人差し指と親指ごと咥える。
そこでようやく佳主馬は自分の指がかたかたと震えていたことに気がついた。
手を上げているくらいで疲労するほどやわな鍛え方をしていないという自負はある。
それでも動揺して震えているとは認めがたかった。
ぎゅうと目を瞑る。
かろうじて胡坐を崩すことには成功したのに板間について踏ん張ることのできるはずの足にはろくに力が入らない。
このぐらいのことで、と情けないのか恥ずかしいのか、それよりも指先に集中してしまう意識に苛立つ。
我慢のきかない唇を噛むと息を吐くために開けっ放しにしていたせいで乾いていた。
ああ、そうだリップクリームを塗られたときが最初だと思い出すのは健二の伏せるようにした目、薄い色の睫毛がきれいだとあのときはまだ震えも動揺も知らなくてそれだけに見惚れていた。
「ひび割れるのはよくないよ」そうやって乗せられたメントールのリップクリームは健二のもので、丸い容器に入ったそれを直に指で広げられて後になってからひどく恥かしくなってしまったのだ。
押さえるように親指と人差し指で取られた顎は終わる一瞬そっと撫でられた。
そうだやはりあの時が最初だ。
不意に仕掛けられる健二からのからかっているのか、それとも真剣なのかわからない、佳主馬にとって恐怖に似た未知の感覚を呼び起こすような行為は認識が正しいのであれば日に日に遠慮のないものになっている。
菓子を挟んだまま固まって離すこともできないでいた指を前歯で軽く噛まれた。
口の中で聞こえた声は鳴いているようだ、と他人のことのように思う、そう思うことでしか対応できない。
今度は指の隙間に入った舌がぐぐ、とプレッツェルを押し出す。
抵抗むなしく菓子はすっかり佳主馬の指からはなくなってしまって変わらず唇で挟まれたまま、がりがりと奥歯がそれを押しつぶす音を振動と一緒にきく。
離された口から唾液が伝って、佳主馬の地肌にほとりと落ちた。
「ひっ」
「あ、ごめん」
そのことにはさっきまでの囁くような低温とは違ういつもの音域で健二が謝罪する。
身をすくめた佳主馬の想像はやはり追いつかない。
唾液の落ちた部分の髪に、地肌に口付けられた。
汗をかいていることは確実なのに躊躇いはなく、信じらんないと上げた声は笑って誤魔化される。
「佳主馬くんって爪いつもきれいにしてるよね」
抗議する佳主馬の声を全く聞いていないかのように健二は握って、唾液のせいで張り付くようになってしまっている左手をさらに絡ませてからさっきまで咥えこんでいた右手の指先に口付ける。
軽いけれど音を立てられて顔が真っ赤になるのを抑えられなかった。
耳まで赤いことを悟られなければいいと思ったときにはもう外耳に、それと頬に同じように唇が寄せられていた。
「とうぜん、だよ」
「僕切りすぎて深爪になっちゃうんだよね。今度切ってね」
親指の腹でくる、と円く切り揃えた爪をなぞられる。
苛められて割れるようになってから母に切ってもらうことを止め、拳法を始めてからは怪我をしないようにと気を付けているけれどそんな所まで見られているとは思わなかった。
どう答えたらいいのか、うれしいのかもわからないまま「自分でやりなよ」と精一杯意地を張ってそう言う。
切ってよと尚もねだる健二は楽しげだった。
佳主馬にとっては何もかも上手くいかないように思える。
「お菓子、おいしかった」
「なんで、ちょうだいって」
そう言われただけで、佳主馬は差し出しただけだったのに指を舐められ噛まれ、腰まで立たなくなってしまわければならないのか。
く、と膝を曲げる。
足先の力はやはり入らずせめてもの抵抗と身をよじった。
「なんでって言われてもなあ」
勿体ぶってはいない、本当に困ったようにただしたかったからしただけなんだけどと答える健二に何も言えなくなってしまう。
「佳主馬くん、僕にキスしたいって言ったけど」
告白のときの台詞だ。
どうやったら自分の想いが息苦しくなるほどの衝動が伝わるのかわからなくて押し倒すように、実際は体重が足りなくてのしかかるだけだったのだけれど、そうやって憧れではなく恋情なのだと伝えた。
何もかも捨ててしまう覚悟の告白だったのに今は自分の中の何かが崩れてしまいそうで身を縮めてそれを守りたくなってしまう。
それが何なのかはっきりとはわからないけれど。
他の誰でもない健二にされるから怖いと思ってしまう。
「僕が佳主馬くんにしたいと思うこともあるんだよ」
佳主馬くんが思ってるのとはちょっと違うかも知れないけど、と付け加えられた言葉には「たとえばどんなこと?」なんて返すことはできない。
絡ませられた指、握られた手首、健二が喋るたびに息がくすぐったいと訴える肌からじんじんと熱が上がっている。
これ以上熱くなったらきっと自分はどうにかなってしまう、そう感じるほどの温度で暴れていた。
「腰、立たなくなった?」
「ち、ちがう」
「ほんと?」
「あっ」
もどかしく動かしていた足に気付かれた。
さらに力任せに両腕を引かれて、天井を仰ぐと思った佳主馬の視界いっぱいは健二の笑った顔で、逆光になったそれを見つめる暇もなく焦点がぶれる。
乾いた唇はまた咎められるかもしれない。
まさぐられる口内はどちらのものともわからないチョコレートの味と菓子の残りかす、あとは唾液でいっぱいになってしまった。
ポッキーゲームではなく指チュパでしたという話。
20091111