ことりとおちゃかい
応接室にはあらゆるものが揃っている。
ほとんど風紀委員会が持ち込んだものか元々備え付けてあるものだが、根城にしているのが雲雀恭弥一人であるために夏場の飲み物を保存するための冷蔵庫だとか、そういう必要最低限のものしか使用されることはなかった。
コーヒーメーカーと保温ポットもそれら使われない道具のうちに入っていたのだが最近は頻繁に掃除され、そして使われる。
「ノックぐらいしなよね」
「ごめんなさい。わかっていると思って」
一瞬だけ入り口で躊躇うようにした少女はそれでも怖気づくことなく室内に入ってくる。
彼女が言ったようにしばらく前から雲雀は近づく足音に気付いていたし、時間帯や自分の部下よりも明らかに軽いそれに誰かということも分かっていた。
こんにちはなどと和やかな挨拶を交わす間柄でもない雲雀の入室の了承の代わりのような、そのようなものであると気付いたのは最近のことだ。
彼女、凪の今は兄ということになっている人物とはもっと物騒な挨拶をしているから気にすることではない、それに、凪はこの雲雀恭弥が黙っていれば大人しくしていれば、自分のテリトリー内で人間一人がコーヒーを飲むくらいの優しさを持っていることを知っている。
長らく使われることのなかったコーヒーメーカーと保温ポットを最近愛用しているのは他でもない六道凪、クローム・髑髏その人だった。
午後の授業の前に必ず応接室を訪れコーヒーを飲んでいく習慣ができたのは、お昼を食べた後にどうしても眠くなってしまうという凪の相談に、じゃあコーヒーでも飲んだらと数少ない友人が提案したことがきっかけである。
兄ということになっている六道骸からお小遣いを貰う身であり、さらに危ないからという理由でアルバイトも禁止されている凪はお昼ご飯の度に缶コーヒーを買うのを一か月分の計算をした後諦め、その後応接室にお使いに訪れた際、埃を被ったコーヒーメーカーを見つけて使わせて欲しいと願い出たのだ。
家から水筒で持ってくることも考えたけれどやはり淹れたてのほうが美味しいし、喧騒より静けさを好む凪はこの一種空気が澄んだように静謐な空間が気に入っていた。
なぜかなついて飛び回っている小鳥なんかもかわいい。
「あなたもいる?」
「僕はいらないよ。黙って飲んでさっさと行きなよ」
冷たい返事の雲雀はお昼に食べたらしいパンの残りを件の小鳥に分け与えている。
小鳥は高い声で何かしら歌い、どうやら喜んでいるらしい。
旋律も歌詞も正しく並盛中学校の校歌だったが、高校から並盛に通いだし、その高校の校歌すらまともに覚えていない凪が分かるはずもなかった。
始めのうちはポットでお湯を沸かしてコーヒーを淹れてとしているとゆっくり飲んでいる時間などなかったのだが、しばらくすると来たときにはお湯が沸いて保温されているようになっていて慌てることもなくなった。
雲雀がやってくれているわけではなく、使われた形跡があるのを部下が発見して律儀にも準備してくれているという。
そのせいできちんと毎日来ないと悪いような気がして、習慣付いてからしばらく経つ。
コーヒーメーカーはじりじり熱そうに、時々は咳き込むようにしながらこげ茶の液体を吐き出した。
「ちょっと多かったわ」
そう言って雲雀の前にマグカップを置くのもいつものこと。
凪は彼の対角線上のソファに座ると、熱い液体を冷ますために木製の重厚なテーブルに置く。
餌を与え終わって何かしらプリントのようなものを読んでいた彼はまるで気付いていないかのように見向きもしないが、飲まないのかと片付けとようとすると引き止められた経験があるので恐らく凪と同じ猫舌で、ある程度熱を逃がさないと飲むことができないのだろうと推測できた。
もしかしたら人前で何か口にするのを嫌っているのか、あるいは一緒にコーヒーを飲むなどすれば彼の判断基準で「群れている」ということになるのかもしれない。
なるだけ音を立てないように気を付けなければならないので、テーブルの上で首を傾げるようにして凪を見上げる小鳥を同じように見返したり指に招いたりして時々コーヒーの温度を確認する。
小鳥はなつく、というより興味津々な様子で凪をじっと見つめたりわけのわからないことを話したり、意味のわかる言葉でも何がいいたいのかよくわからない様子だけれど、ちょこちょこと動き回る小動物はとてもかわいらしく見ていて飽きない。
「ダレ、ヒバリ、ダレ」
「凪、私は凪よ」
何度教えても覚えない。
雲雀の命令しか聞かないのかと思えば元は骸の部下が飼っていた鳥らしい。
ただ単に覚える気がないのかもしれない。
話すのをみているだけでほほえましいので凪にしてみればかまわないことではあったのだが。
「凪。名前は、な、ぎ、だよ。わかるかい」
「ナ、ギ、ワカル、ナマエ、ナギ」
まさか雲雀が教えてくれると思っていなかった凪は驚きに目を見張り、ついで覚えたての名前を連呼する小鳥の背だか頭だかわからないところを撫でた。
「区切って言わないとわからないよ。あと知っている単語に結び付けて覚えるようになっているらしくて名前を教える場合もそうじゃないといけない」
話しかけられているのか独り言なのか視線だけでは判然としないが、確実に凪に向かって言っているのだろう。
凪は一応ありがとうとお礼を言って適度に冷めたコーヒーを一口飲んだ。
独特の香りと苦味、そして少しの酸味が口内に広がってほどけ、喉を通過していく。
「別に。何度も同じやり取りを聞くのはもう飽きたからね」
「そう」
返事をしてしばらくしてから、そういえば彼は自分のことを君だとかそこのとか呼びかけるから名前をはっきり呼ばれるのは初めてだなと今更のように凪は考えた。
そういう自分も彼のことをきちんと名前で呼んだことはないなとも。
そこで、雲雀が湯気も少なくなったコーヒーに手を伸ばし口元に持っていった。
凪がいる間は手をつけるどころか一瞥すらしないというのに今日は珍しいことが続くと、彼女ははきはきとした友人に言わせれば少々鈍いと指摘されがちな思考で実感した。
「本当に飲むのね」
「君は僕を何だと思っているの」
「いつも手を付けないから」
そう言うと少し考えるような仕草をしてから仕事が一区切りついたからと半ば適当にも聞こえる声で返される。
風紀委員長であるからきっちりしているのかと思えば、自分の信念や信条に反りが合わない限り彼が何がしかを咎めたり暴力を振るうことはなくて、それを知っていれば実はものすごく付き合いやすい人間であるのではないかと凪は確信を持ちつつあった。
きっと否定されるし、それを指摘してしまうと彼の機嫌を損ねるような気がして言わないでいるけれど。
「おいしい?」
「まずいと思ったことはない」
「どうもありがとう」
お礼を言うと少し笑ったように口元が緩む。
彼がそのように表情を崩すことを知らなかった凪は、驚きと同時に頬に熱を上らせた。
主人の機嫌がいいことを察知してか、小鳥が周囲を旋回して猫のようにやわらかそうで癖のある黒髪の上に着地する。
「好きな豆とかあったら、今度買ってくるわ」
「ブルーマウンテン」
豆の中でも一番高いものを指定されて咄嗟に財布の中身を思い浮かべる。
「骸様に相談」
「買える範囲でいい」
「でも」
「いいよ」
小鳥が頭から飛び立った。
もしかして主の名前を出したのがまずかったのだろうか。
凪にとって六道骸は絶対で全てだったが、雲雀にとっては名前も聞きたくないのかもしれない。
「ごめんなさい」
「別に」
雲雀はまた書類に集中し、先ほどより重い沈黙が流れる。
音が出ないようになっているのか廊下と開け放たれた窓の外、グラウンドから予鈴が聞こえた。
「授業始まるよ」
「ええ。今日もありがとう」
カップや使ったものなんかを洗って、食器を置くラックに立てかけておく。
「これ。お礼ね。お湯をやってくれている人にもあげてね」
大したことはない、個別包装のしてあるお菓子を四つテーブルに置き、本鈴に間に合うよう半ば駆け出すようにして応接室の扉に手をかける。
「ナギ、アリガト」
「君は食べられないだろう?」
会話に振り向くと彼は先ほどよりも随分表情を崩して凪を見上げた。
真っ黒な目に真っ黒な髪が同化するように掛かってはいたけれど、それが彼にしたらどんなに珍しい種類の笑いか、そんなに付き合いが長くない凪にもよくわかった。
「悪いけれど、君」
「なに」
「今度はこれにも食べられるものをくれるかな」
「わかったわ」
ほとんど反射のように返事をして、悪いねという言葉の途中で扉を開けて駆け出す。
頬の熱が引かないような気がした。
小鳥にも食べられるお菓子がないか友人に相談してみなければ。
昼休みの奇妙な集いにささやかなお茶請けが出されるようになったのは次の日からのことだった。
雲雀と凪が仲のいい理由とか。ひばなぎもすきです。
20090202