フィールド裏の攻防
練習場を見下ろす薄着の男に、コンビニの袋を下げて歩いていた男が気付く。
着ている服がモノトーンのせいか黒髪の男、郭英士の姿は闇に溶けてしまいそうだと金髪の男、藤村成樹は思った。
「なんや。めずらしやないかい」
寒さで凍りついた右耳側から聞こえた声に、郭は振り向くどころかぴくりとも動かなかった。
無反応やなあという呟きは、藤村の口元にあるマフラーのせいで少しくぐもって聞こえ、郭の視界に白い靄が映る。
「習性だよね。夜出歩くの」
「知っとったんか。自分いっつも早よ寝とるやろ?」
年齢の前にアンダーが付かない代表になっても相変わらず馬鹿騒ぎの好きな面子だが、郭はどんなに盛り上がっていても決まった時間に部屋に戻っていたような気がする。
最初は奇妙に思えたものだが慣れるとそれも当たり前になって、打ち上げのときに水野か誰かが帰らなくていいのかと訊いて怪訝な顔をされていた。
「いつもじゃないよ。部屋には帰るけど」
「さよか」
「不審な金髪の奴が夜な夜な徘徊してると思うと眠れなくて」
「あーそりゃ怖いなあって俺のことかいっ!」
肩を叩いてからしまったと思ったら、意外にも相手は笑っていた。
「律儀」
「当たり前や。ボケられたら突っ込むんが関西人の礼儀やろ?」
「ボケじゃなかったんだけど」
「本気かい!」
「触るな不審者」
「ツッコミすら拒否!?」
テンポ良く続く会話が心地良い。
ゆるく笑う郭の頬は外気が冷たいからか少し赤くなっていた。
「んで。あんさん何しとんの?」
考えれば息が白くなるほどの寒さのなかに薄着で外に居るというのは郭でなくても不思議なことだ。
そういう意味も含めて尋ねれば郭は藤村と視線を合わせてから、寄りかかっていたコンクリートの塀から缶を二つ取り上げた。
「は」
「ビールね」
そう言われて半ば無理やり350mlの缶を渡される。
当然のようにそれは外気のせいでよく冷えていたが、説明もないままそれを握ることになった藤村は冷たい物体と郭の顔を交互に見た。
「ほら、開けなよ。乾杯できないでしょ」
「あ、すんません」
咄嗟にプルトップに指をかけて開けると、ぱきりと小気味良い音が響いた。
乾杯、と小さく呟く声が聞こえてゆるく缶がぶつかる。
未だに呆然としている藤村を無視して郭はのどを鳴らしてビールを流し込んだ。
見たところ半分くらいは飲んだのではないだろうか。
「なに?俺の勧めじゃ呑めないの藤村は」
贅沢だねと笑われて更に戸惑う。
よくやる鼻で笑うものではなく力を抜いたような優しい笑い顔だ。
郭がこんな顔を見せるのはあの仲良し二人の前だけだと思っていたのに。
その動揺を鎮めるためにぐいとビールを流し込む。
多少値も張り、藤村自身も好んで口にする美味しいはずのその液体は何の味もせず、アルコールの香りだけを残して胃に入っていった。
「美味しい?」
「どうせなら熱燗でも用意せえや。寒うてようわからん」
「あ、そ。ごめんね。面倒臭かったから」
「そんくらいせえや!んで何の乾杯なん?」
やっと質問を挟んだ藤村に、郭の笑みの種類が変わる。
「なんでしょう?」
どうやら問題形式らしい。
左の口角が少し上がってそちら側の目が細まった。
それは郭が人を小ばかにするときに良く見る表情で、いやに楽しげだ。
「結婚記念日?」
「誰の?」
「やーもう訊かんといて!俺らのに決まっとるやん!」
「26点」
ボケに突っ込まれなかった挙句点数まで付けられた。
「30点満点?」
「100点満点だよ。当然でしょ」
「厳しすぎや!」
「俺FWには容赦しないんだよね」
「あのりんごちゃんにはゲロ甘やで自分」
「一馬はいいの。一馬だからね」
説明になってない説明をされて視線で問われる。
寒さに一瞬震えた郭の肩は、同世代の、例えば鳴海なんかに比べると随分薄いように思えた。
(タツボンでももうちょっとあるんちゃう?)
別のところに思考を飛ばしているとくすくす笑いながら、わからない?と言われた。
考えてみれば今日の郭はいつもと違う。
こんなところでこんな時間に缶ビールまで持って。
しかもチームメイトではあるがそこまで長い付き合いでもない選手と乾杯までしている。
「時間切れ。藤村ってやっぱその頭全体で一つの飾りなんだね」
「なあっ!?日本代表のエース誰やと思とんねん!今度からパス受け取らへんからな」
「いいよ。自分で決めるし」
ぎゃーぎゃー言い合っているうちに郭の缶は空になってしまったらしい。
軽くなったそれを近くのゴミ箱に放る。
缶同士がぶつかり合って少し耳障りな音がした。
「じゃあね。藤村も早く戻りなよ。明後日の試合に響いたら困るから。あとそれは奢りだからちゃんと飲むように」
「おお」
軽く手を振って躊躇いもなく歩き出してしまう。
問題の答えも藤村もこのまま放置して部屋に戻る気らしかった。
「なあ。正解教えてくれへんの?」
問いかけに少し遅れて郭の歩みが止まる。
白い項にかかる襟足がアンダー時代に比べて少し長くなっていて、郭の親友の茶髪のほうが手触りの良さだけでしきりに刈り上げを勧めていたことを思い出した。
今度もしそうなったらそこに触れてみたいなどという妙な衝動を抱く自分に気が付いてしまって少しだけ鼓動が早くなる。
郭が静かに振り向いて笑う。
それは親友へのものでもからかいの対象へのものでもなく、ひどく挑発的な笑み。
やられる側にとっては多少嫌なものであるはずなのに、藤村には今まで見た郭のどの表情よりも魅力的に見えてしまった。
「誕生日なんだよね。今日」
さっきコンビニの時計は23時47分を指していた。
あそこから合宿所までは十分弱だから、時計はとっくに1月25日の零時を回っているはずだった。
「そら、おめでとさん」
「ありがとう」
先ほどの笑みから表情を変えない郭の真意がわからない。
きっと零時を回ったときになされた、素行の悪いFWと品行方正なMFの乾杯の意味も。
「なんで」
「なんでだろうね?」
「俺のこと好きなん?」
「さあ?」
苦し紛れの冗談は切り捨てられずにはぐらかされてしまった。
試合前のこんなとき、エースの精神面をチームメイトが乱すようなことがあっていいのだろうか。
そんな明後日の方向に悩みを飛ばしてしまうのも藤村の長年の悪い癖だったが、郭にそれを矯正する気はないらしく、楽しそうに戻ってきて吐息のように一言発する。
「おやすみ。藤村」
それこそ耳元でも、そんなに近い距離でもないのに、首元が粟立ったような気がした。
「おやすみ」
辛うじて発した言葉に満足そうに頷くと、今度こそ郭は部屋に戻るために玄関をくぐっていった。
「なんや、あいつ」
一気に流し込んだビールが外気と共にのどにしみて目じりに涙が溜まった。
ぼやけた視界の中にもさっきの笑みがちらついて、藤村は少し乱暴に缶を投げ捨てると小走りで玄関に向かう。
投げられた缶はゴミ箱の縁に当たって逸れ、アスファルトの上に勢いよく叩きつけられて転がっていった。
20080219
これでシゲさんが英士に惚れてこっぴどく振られたりしたら萌える。